・プリパラ:第27話『あけおめでかしこま!』
正月一発目のプリパラはファルルのオーバーナイトセンセイションっぷりを見せつつ、出来た妹のんちゃんを軸に回すサブエピソード。
プリパラデビューしていないが確かな目を持っているのんちゃんを壁に使うことで、ファルルの現状が見えてくるという結構凝った作りでした。
そういう本筋をしっかりやりつつ、ギャグの暴走も狙った所に当てる辺りさすがのふでやす&ナベシンコンビでした。
ギャグに回るとめが兄は怖えなぁ……諏訪部の暴れ方が尋常じゃねぇ。

のんちゃんの野望は二期を睨んでのことなのか、はたまた伊良子清玄めいた生粋の昇竜なのか。
イマイチ分かりませんが、『私に倒される日まで、お姉ちゃんはトップじゃなきゃいけないんだ!』という思いは一歩間違えば危険な領域に飛び込むので、とても素晴らしいと思います。
今回はらぁらのお姉さんっぽい所も沢山出てきて、キャラの多角的な魅力が光るのはナイス個別回の証拠。


あっという間にプリパラを席巻したファルルですが、ネタとしては基本コピー……というか、機械知性らしく知識収集に貪欲なのかな?
赤崎さんの人形めいた演技が良く効いていて、無垢な物悲しさが常に付きまとう辺り、いいラスボスよな。
トラウマを振り払って更に加速している大神田校長のように、ファルルの哀しみもらぁらの優しさが包み込むような終わり方を期待したいところです。

ファルルに盗まれようとしている『プリパラで手に入れた自分らしさ』は、コンプレックスが強いらぁらにとって(そして作品にとって)かけがえの無いものであり、優しい彼女がファルルに立ち向かう理由を説明する回としても良く出来てました。
らぁらは基本優しい子であり、その優しさが強さでもあるのですが、ただ流されるのではなく、理不尽に反発する芯の強さを要所で発揮しているのが、主人公力高いキャラだと思います。
そう考えてみると、のんちゃんを壁にしてファルルを描き、二人を壁にしてらぁらを描く回でもあったのかな。

3クール目の始まりということで、あまり大きなイベントを発生させず、丁寧な描写を多数盛り込んだエピソードでした。
本筋と関係ないところでは、アポ無しで家に押しかけて対局する仲になってるシオン×みれぃとかね……委員長好きすぎだろあの女……素晴らしい。
キャラクターをじっくりと見せられるロングスパンのアニメ、その醍醐味を味わえたと感じる、ナイスな回でした。

 


・四月は君の嘘:第12話『トゥインクル リトルスター』
年末年始を挟んで久々のキミの音が聞こえるアニメーション、ガラコン前の修行時代もしくは宮園かをりの存在と不在。
所謂イベント前の整理期間でありまして、主に瀬戸先生とかをりちゃん周辺を整える回でした。
公生が壊れたりかをりちゃんが壊れたり、このペアは本当に万全で演奏できねーな……。

瀬戸先生は公生母を鎹にして公生くんと繋がっている存在であり、一応の決着を付けたとはいえべっとりとこびり付く母親の影響を、どうにか出来る有力な存在。
それはただ忘れるということではなく、公生の中で何らかの整理をつけ新しい立ち向かい方を手に入れるということなんでしょうが、なにぶん重たい関係性なのでなかなか難しい。
ピアニストである以上弾くことでしか人生を決着できない業を有馬公生も、そして瀬戸紘子も背負っているとすれば、夏の間中『愛の悲しみ』と向かい合ったのは正しい対処だったんだろうなぁ。

瀬戸先生がナイーブかつ不完全な存在として書かれていたのは、個人的な好みに合致してました。
完全無欠のメンターよりも、自分の言葉の爆弾っぷりにビビりながらも娘を育て、弟子を導いてる繊細で臆病な彼女のほうが、青春どまんなか眼鏡の師匠にはグッドだと思います。
『公生くんが母親を整理できてないのに、瀬戸先生だけ解脱されてもなぁ……』という意地の悪い見方も、少しあるけどね。
ガラコンという舞台がどうなるにせよ、この演奏で弟子も師匠も、少しは有馬早希の亡霊から開放され、解放してあげることが出来るのかなぁ。


有馬公生の過去側の手が母親と結ばれているとしたら、未来側の手は無論かをりちゃんと繋がっているわけです。
しかし、かをりちゃんの手は未来と指切りしていない。
プールのシーンでかをりちゃんを照らしていた花火の光が、将来の話になった瞬間掻き消える演出を見ても、それは判るわけです。
宮園父母が公生くんの背中を見送るシーンの、一瞬で締まる表情を見てもやっぱこのアニメの演出は直球で早いなと感心します。
今までさんざん明示され暗示されてきたので、かをりちゃんが倒れたことそれ自体はそんなにショックではないです。
イヤだけどね、凄く。

三池くんに関してはムカつくというよりも、『そこまで公生くんと同じだと、同じようにその言葉が自分を刺すんだろうね』という気持ちのほうが先に立った。
このアニメの登場人物全員そうなんだけど、地金の優しさが透けて見えるので、悪ぶった行動をとってもイラッと来る前に『大丈夫?』と思ってしまう。
今回の抗議には、ある程度以上の正当性も在るわけだし。

そして我らが主人公は、ヒロイン不在の難治に対しどっしりとソロを決意するのであった。
無茶苦茶といえば無茶苦茶、当然といえば当然、そんな選択。
公生くんのピアノ人生はつくづく獣道であるが、さて、踏破してどんな景色を見せてくれるのか。
今から楽しみですね。(踏破するのは前提という信頼感)

 

・アイドルマスターシンデレラガールズ:第一話『Who is in the pumpkin carriage?』
長く続くアイドルアニメ戦国時代、そこに投下された最終兵器ともいうべき凄まじい第一話だった。
『このアニメは何をするのか』『登場人物はどういう人間で、何をするのか』『登場人物たちは相互にどう関わっていくのか』
物語の枠組みを全て見せつつ、既存のファンへの目配せも完璧にこなし、三人の新人たちのスタートラインとしてパーフェクトに整った出だしをやり切る。
素晴らしいの一言であります。
なお自分は、ゲームには一切触っていない、ほぼアニメからのクソ新参であります。


このアニメは『既に夢を叶えた』側の人間、つまりアイドルを、『未だ夢を叶えていない』側の人間が見つめる所から開始します。
オーロラヴィジョンから駅の広告、スマホにテレビに雑誌と、ほぼすべてのメディアを埋め尽くするアイドルに対し、普通の人間は顔も見えず名前もない。
顔も名前もない存在が、何がしかの人物にのし上がっていく手段として、この世界で許されているのは『アイドルになる』こと。
それのみです。
何しろ、このアニメの世界は、圧倒的なまでにアイドルで満ちているわけですから。

『このアニメは何をするのか』をアバンだけで感覚させる出だし。
『何者でもない存在が何者かになる』という物語類型(シンデレラ・ストーリーと言っていいかもしれない)の、基本的で圧倒的なパワー。
アバンだけで物語の骨格を強く感じられる、素晴らしい出だしだと思います。
これから登場人物たちが追いかけるであろう"夢"の具体的な形として、キラキラしてパワフルで美しいステージをしっかり見せたのも、目標がハッキリ見える演出でグッド。
世界律を説明するための過剰なアイドル密度が同時に、非メインアイドルの大量の露出に通じ、良質のファンサービスを達成してるのが凄まじいところですね。


今回出てきた『未だ夢を叶えていない』もしくは『未だ夢を見つけてすらいない』存在は島村卯月さんと渋谷凛さんの二人。
彼らを導くと同時に、あまりの不器用さと朴訥さ、誠実さから『彼もまた、何者かになる対象なのではないか』という期待を抱かせるプロデューサーも合わせれば、実質三人という役者を絞ったお話は、感情の揺らぎやお互いの心情、登場人物が持っている長所を色濃く印象づけられる、水気の少ない作りでした。
無論それは人数を絞ったことだけが可能にしたわけではなく、例えば柔らかさとシャープさを兼ね備えた照明のバランスであるとか、期待に満ちた季節を伝えてくる美術であるとか、心理的距離感を画面に反映したレイアウトであるとか、映像としての心配りが可能にしているものでもあります。

とは言うものの、一人のキャラクターにアテられるスポットライトの長さは細やかな心理描写を可能にしていて、画面に写った彼女たちが如何な人物なのか、良く感じられる映像が流れていました。
同期は全て辞め、せっかく夢の尻尾を掴んだと思ったらレッスン漬けにされる島村さんは、しかし腐らず歪まず諦めず、アイドルという夢に向かって一歩ずつ邁進していく。
その成果が『踊れなかったステップを、踊れるようになる』という確かな描写で表されているのは、アニメーションを信頼できる重要な足場です。
それは単に島村さんが頑張って結果が出てよかったね、というだけのものではなく、『頑張れば報われる』という単純かつアイドルを扱う世界の中では絶対に外して欲しくないルールを、視聴者に示してくれるシーンだからです。
徹底して陽性に、前向きに、ひたむきに描かれる島村さんのことを視聴者(というか僕)は既に好きになっているし、彼女に良いことがあって欲しいと願う。
そしてそれが叶えられる世界だと、あのターンが教えてくれるのは、有り難いことだなぁと思いながら見ていました。

もう一人の女の子、渋谷さんは未だ夢に出会っていない少女です。
不審者丸出しの目付きの悪いプロデューサーの熱烈なアタックにも、あまり心を動かされた様子がないまま、つまらなそうに高校生活を送り続ける。
しかし島村さんにアネモネの花を進めたり、プロデューサーが連行されそうになった時には助け舟を出しもする。
不器用ながら好感の抱ける子なのだという印象を受けるよう、丁寧に画面と台詞が組み立てられている。
彼女たちが彼女たち自身と対話するシーンで既に、彼女たちの内面は相当感じ取れる。


そして彼女たちは、一人で立っているわけではない。
彼女たちはプロデューサーが魅了された『笑顔』という共通点を持っていながら、それが既に夢を見つけそこに邁進し続ける現在の『笑顔』なのか、未だ夢に出会わず己の中に秘め続けている未来の『笑顔』なのか、という差異で区分されています。
島村さんの『現在の笑顔』は、夢に迷っていた渋谷さんの心を撃ちぬいて、一つの夢を決断させている。
その影響力、破壊力とはつまり、人間の心を何処かに動かすチカラ、トップアイドルとしての資質なわけです。
『顔も名前もない存在が、何がしかになる』物語を駆け登っていくためのガラスの靴は、第一話の段階でその存在を明示されているわけです。
『このアニメは何をするのか』の完成点をイメージさせる演出がこの序盤で入っていることも、僕を強く安心させてくれる要素でした。

さらに言えば、彼女たちの暖かな心はけして一方通行ではなく、相互に作用するものです。
島村さんに送ったアネモネの花は、巡り巡って渋谷さんの背中を押す。
『家業の手伝いをしているだけの高校生』として、顔も名前もなく画面に映っていた渋谷さんは、アイドルという夢に接近していくことで名前を得て、何者でもなかった時代に手渡した真心を送り返されて、アイドルという夢の階段に足をかけるわけです。
このコール&レスポンスを見ていると、島村さんの気持ちを渋谷さんが支える瞬間も、必ずやってくるんだろうなと思えて期待が高まります。


アイドルとして光のなかで輝き、アクティブに物語を進めていく女の子たちに対し、プロデューサーはひっそりと彼女たちが履くべきガラスの靴を磨き続けます。
渋谷さんの決断の決め手になったのは、島村さんが持っている『現在の笑顔』なのでしょうが、しかしそれを導いたのはあの無骨で不器用なプロデューサーです。
着実に……というにはぎくしゃくしているけれども、愚直な誠実さで渋谷さんにアタックをかけ続け、島村さんの成長を見守るプロデューサーは、三人目のアクターとして確かな存在感を持っていました。
アイドルというテーマがある以上、日向に出るべき女の子と、そこに彼女たちを追い出すプロデューサーという役割分担は存在するべきだし、同時にそれと上下貴賎が一致してはいけない。
表に立つ存在も、影で支える存在も、ともに偉大だと描いてくれればこそ、シンデレラ・ストーリーはシンデレラ・ストーリー足り得ると、僕は思います。
そして、この一話でのプロデューサーの見せ方は、まさにそれだった。

何しろ、ほぼステの状況でプロデューサーはライトの影に収まっているわけで、これは物語的役割と画面から視聴者が受ける印象を一致させる意図がないとやらない演出だと思います。
肩幅の広い長身から受ける印象といい、朴訥な演技といい、『此処に置くしか無い』というベストポイントにプロデューサーを配置したと感じました。
個人的な妄想を吐いておくと、『現在の笑顔』島村卯月、『未来の笑顔』渋谷凛と並べられているのなら、『過去の笑顔』はプロデューサー担当なのかなぁとか考えます。
「自分はもう、笑えないですからね……」とか言われたら、俺ァどうしようかな……。(気持ち悪いニヤニヤ笑顔でブツブツ言う人爆誕)

妄想はさておき、アイドルに満ちた世界の中で、夢に向かって笑顔で疾走する少女と、夢を手に入れておずおずと歩き出した少女と、彼女たちを不器用に見守る男達の物語として、素晴らしい出だしでした。
きっと、顔も名前もない存在だった彼女たちは、これから先展開される物語の中で様々な苦難と喜びを経験し、(それこそアバンで踊っていたシンデレラたちのように)顔と名前を手に入れていくのでしょう。
それは力強い物語ですし、この期待は多分裏切られない。
そういう気持ちになれる、素晴らしい第一話でした。

公式サイトで見る限り、シンデレラプロジェクトのメンバーは多いようで、このレベルでドキドキするスタートが他のキャラクターにも用意されているのかと考えると、期待で死にそう。
さらに言えば、多人数者は仲間に為っていく過程こそが最高に美味しいわけで、このレベルで物語を滑りだしたキャラクター達がどういう化学作用を起こしていくか考えたら、期待で溶けそう。
シンデレラガールズ、とんでもねぇですな。